小学校一年生から不登校になり、保健室登校を経て学校に行けるようになったうちの次女。
前回の記事では、小学校一年生の冬休み前にスクールカウンセラーとお話して、三学期は学校を休ませることにしました。
その後のお話です。
小学校二年生 クラス・担任替え
二年生になりクラス替えと担任替えがありました。
不登校の原因は、小学校一年生の担任(担任とその指導方法)だったので、もちろんその担任ではなくなりました。
その担任は持ち上がりにならず、中学年の担任になっていました。
新しい担任は、松田聖子と同い年の松田聖子ファンの男性教師。
その当時で教師歴30年近くで、はつらつした若々しさは無いけれど、落ち着いた先生でした。
ちびまる子ちゃんの担任の先生みたいな感じ
三カ月ほど自宅で過ごした次女はずいぶん元気を取り戻しており、担任も変わったので二年生からは学校に行きたいと思っていました。
不登校の中でも、【学校に行きたいと思っているのにいけない…】という場合があります。
原因は、『気力やエネルギー切れ』と『登校への不安』です。
不登校の子の多くは、ほんとは学校に行きたくないのに無理をし続けた結果、気力やエネルギーがなくなり、行きたいと思っていても行動するエネルギーさえ無くなり行くことが出来なくなってしまいます。
また、不登校で長い間休んでいた学校へ復帰することは、誰でも不安で勇気もいります。
授業や部活についていけないのではないかという不安や、友達に受け入れられないのではないかという不安から、最初の一歩が踏み出せない子供も多くいます。
うちの子も不安はあるようでしたが、新担任との面談で先生が緩い感じだったのでほっとしていました。
小学校二年生とまだ低学年だったので、友達の輪の中に入れるかの不安はそんなに大きくなかったようです。
中学生になった時、同級生に別室登校の子がいたけど、授業は別室でも部活動は出ていた子もいたよ。
担任、顧問など学校とよく話し合って、本人の負担にならない方法から始められるといいね。はじめはゆるくが成功の秘訣かも。
新学期が始まる前に学校と面談し、次のような事を話しました。
- 給食は食べる前に自分で減らしてOK
- 保健室にはいつ行ってもOK(必ず担任には申し出るように)
- 学校には毎日来て欲しいが、無理だったら休んでOK
- 朝、学校や教室に入れなさそうだったら、職員用の玄関から入ってOK
思ったより何でもありで緩いw
その緩さにうれしさと戸惑いを感じる次女
この緩さが結果としてすごくよかった!
担任の先生は色々と質問をしても「それでいいしどっちでもいいです」という感じで、優しさなのか投げやりなのか…w
ですが、この二年生の時の担任の包容力のおかげで、だんだんと学校に行けるようになっていったのです。
二年生の経過
優しそうな先生だったので次女はとても安心していました。
ですが、やはり学校に行こうとすると涙が出る。
まだ、休ませ足りなかったのか…?早かったか…?と不安になりましたが、スクールカウンセラーからは「行かせましょう!」とGOサイン。
もう、何が正解か分からなかったけど、この時はスクールカウンセラーや先生たちを信じた!!
学校の前までは私と一緒に行くのですが、一人で靴箱にいけないのです。
ちなみに校門入ってすぐに、職員用入り口と職員用靴箱があり、児童用の靴箱はその先の少し離れた場所にありました。
ある日、校門のところで学校に入れずに止まっていると、担任の先生が車で通りかかりました。
車を停めたあと、うちの子の前にやってくる先生。
そして、しょうがねぇなあという顔で『ほれっ』と言って、両手を差し伸べてくれました。
担任が神に見えた瞬間
担任に押し付けてとっとと逃げてたな!
(^^;)
心では泣いていたのよ!!
その日から、うちの子は職員用の玄関から担任に抱っこされて教室に通うことになりました…。
先生、ほんとうにありがとうございます(´;ω;`)
どんだけVIPやねん
クラスの子供たちにすごく慕われていて、先生の周りにはいつも沢山の子供たちが。
他の子も抱っこして欲しいらしく、順番待ちされていました。
翌日、職員用の靴箱のいちばん隅に、うちの子の靴箱が作られていました。
学校には休まず毎日行きだしましたが、保健室に行かない日はなかったです。
1学期、2学期と少しずつ教室にいる時間を増やしていき、3学期にはほとんどの時間をクラスで過ごせるようにまでなってきました。
- 担任は「明日は必ずここまでは教室にいよう」など、急かすようなことはしなかった。
- 保健室に行くか、教室に行くか必ず子供に決めさせてくれた。
- 嫌がらずに毎朝抱っこしてくれた。(後半は、『またかよぉ』と嫌がってはいた)
- 教室に入れない日があっても、子供のことを否定しないで受け入れてくれた。
私だったら急かしてしまいそう…。
否定せずに待つことの大切さを学びました。
どーんと構えた安心感
二年生 家での過ごし方
二年生では授業を受ける時間は増えていったものの、保健室で自習をすることも相変わらず多かったので、自宅では私が勉強をみていました。
一年生の時から進研ゼミの小学講座を使って自宅学習はしていたので、幸い大きく勉強の遅れはありませんでした。
学校を休んでいるときに、自宅学習の習慣をつけていてよかったよ。
勉強が分からなくて学校が嫌になることもあるからね。
同級生の友達は少なく、ほとんどは三つ年上の姉やその友達と遊んでもらっていました。
三年生 クラス・担任替え
三年生でもクラス替えがあり、教師になって二年目の若い男性の担任になりました。
今回も学年が変わる前に担任と話し、方針を確認しました。
だいたいは二年生の時と同じです。
少しずつ教室で過ごす時間が長くなってきているのは事実ですが、ずっと右肩上がりではありません。
環境が変わる4月は不調だったり、長い休み明けも行き渋ることはありました。
三歩進んで、二歩下がる。
水前寺清子の歌の歌詞がしみるな。
三年生の経過
三年生が始まったばかりの四月や夏休み明けなどは、保健室にいることも多かったです。
ですが、一年生や二年生の時よりは格段に教室にいる時間が増えていきました。
三年生 家での過ごし方
家では相変わらず私にくっついていて、お風呂も寝る時も一緒じゃないとダメでした。
赤ちゃんの後追い状態ですが、家では拒否せずに甘えさせていました。
その後、中学生になるまで一緒に寝てました(-_-;)
ベッド狭いし、足乗せてくるし疲れが取れなかった…。
中学生のある日を境に、自分の部屋で一人で寝るようになりました。
本人が満足するまで甘えさせる。時期が来れば、自然と親からは離れる。
今は寝顔を眺めていたら、『何?』とにらまれるよヒィィ
大好きな友達Kちゃんとの出会い
小学校三年生のある日、子供から学校の事を聞いていた時の事。
その日も保健室にいたが、クラスのkちゃんに強引に教室に連れ戻された。との事。
え??Kちゃん何者?(-_-;)
よくよく聞いてみると、保健室にいる時に、クラスメートのKちゃんが怪我をして絆創膏をもらいに来た。
出ていくときに『教室一緒に戻ろ〜!!』と腕を組んで連れて行ったらしいのです。
突然、強引に教室に連れ戻された我が子。
『嫌だったの?』と聞くと、
『嫌じゃなかった』と。
こっ、これは、保健室登校脱却への最大のチャンス到来?!
その後、Kちゃんによって保健室に行く時間がぐんと減ることになります。
一生の恩人です。
出会いは一期一会
心の中では、そろそろ保健室に行かずに教室で過ごしたいと思っていたうちの子。
その背中を、ちょっと強引に押してくれたKちゃん。
あまり教室におらず、仲のいい友達はいなかったうちの子に、やっと気の合う友達が出来た瞬間でした。
このKちゃんとはクラスを離れても、よく一緒に遊びに行ったりスポーツを競い合ったりして、高校で離れるまでとてもいい関係でした。
努力家で負けず嫌いで、芯が強いKちゃん。
彼女は今、スポーツ推薦で県外の高校へ進学し寮生活をしているけど、いつか世界にも通用するスポーツ選手になると、娘も私も信じています。
コメント