現在高校一年の次女が小学校1年生の時に不登校になったあと、
学校に行けるようになるまでの記録です。
この記事を読んでくれているあなたは今、現在進行形で子供の不登校で悩んでいるのではないでしょうか?
我が子が不登校の時には、私もネットで悩みや解決策を検索しました。
子供が不登校になった時に、親としては
- 一生このまま学校に行かなかったらどうしよう。どうなるの?
- どうやったら不登校から脱却できるの?
- 高校や大学に進学できなかったらどうしよう。
- 将来、どうやって生計を立てていくの?
そんなことばかり考えていました。
不登校になる理由は子供によってさまざまなので、対応や解決策も1つ『これ』といったものはありません。
私も、子供の様子を見ながら試行錯誤し、たくさん失敗して今まで来ました。
今考えても、すごく長い道のりでした。
私が、もう大丈夫かな…?とやっと思えたのは中学校三年になった時でした。
この記事を読んでもズバッと解決はできませんが、
なにかひとつでも不登校解決のヒントになればうれしいです。
また、学校が苦手な子がどんなことに学校の楽しさを見出して、高校生になった今どのように過ごしているのかなども書いていきます。
はじめに
次女は現在、高校一年生です。
高校の進路も自分で選択し、今ではとても楽しく学校生活を送っています。
うちの子は小学校1年生で不登校になりました。
その後、保健室登校からはじめ、教室と保健室を行ったり来たりなどしながら、
小5にはほとんどの時間を教室で過ごすようになり、小学校を卒業。
中学校ではいじめなどはないものの、思春期女子特有の友達関係に悩むことはあったようです。
保健室通いや遅刻はあるも、一度も学校を休むことはなく卒業。(体は健康体)
成績はほんとに真ん中くらいで、現在は希望していた高校に無事合格し通っています。
家庭環境
うちは上の子が小1、下の子が年少の時に離婚をしました。
私が一人で生計を立てていたのですが、フルタイム勤務で働いていたのでいつも時間に追われていました。
ちょうど転職をしたあとで、自分も仕事に慣れるので精いっぱい。
保育園も、園が開くと同時に駆け込み、延長終わりの最期の時間まで利用していました。
しばらくは3人暮らしをしていたのですが、次女が小学校に上がるのを機に実家で同居を始めました。
祖父、祖母、母(私)、長女(当時小4)、次女(当時小1)の5人暮らし。
次女が不登校になっても祖母が一緒にいてくれて、なんとか仕事を続けてくることが出来ました。
逆に、それが無かったらどうしていたのだろう…。
不登校の一人親だとここは悩みどころですよね。
当時の自分の反省点
自分に余裕がなさ過ぎた。
これにつきます。
でも、当時は自分の中で働かない選択肢はなかったんですよね。
子供たちを育てるためにお金は必要ですし、私がしっかり働かなければならない!!そう思ってました。
約10年前、離婚したばかりの私は正社員で働くことにこだわっていました。
在宅で仕事をされている方は今はすごく増えていますし、
自分も当時そんな働き方が出来ていたら、家で子供にもう少しかまってあげられたのかなという後悔はあります。
コロナ後は、リモートや在宅ワークも当たり前になってきたので、困っている方はそうできたらいいですよね。
小学校1年生
不登校になったきっかけ
きっかけは、小学校一年生の時の担任です。
とにかく無表情で(笑っていても目の奥が笑っていない…)大人から見ても怖かったです。
一年生の時の担任とは合わなかったけど、二年生以降は担任に恵まれ先生方には感謝しています。
今でも一年生の時の担任は大事だなぁと思います。
ただ、うちは合わなかったし苦手だったけど、その先生と合う児童もいるのでこればかりは運ですね。
相性大事!!
完食指導
不登校のきっかけは小学校1年の時の担任と書きましたが、
正確には、小学校一年生の時の給食の完食指導です。
今って、給食を昼休みまで食べさせるなんてしないですよね?
10年前、そのベテランの女性担任教師(定年間近)は、昼休みの間もこどもに給食を食べさせていました。
うちの子、学年で一番体が小さくて、食も細かったんですよね。
体の大きさのが倍くらいの男の子と同じ量の給食なんて食べられるわけない。。。
無理じゃね?
はじめ、子供も何も言わなかったんです。
毎朝、学校に行き渋るので、担任の女性教師に相談しました。
するとその担任は『学校に来てからは楽しそうにしていますよ〜』
いやいや、毎日行き渋って大変なんです
それ以上聞き出そうとしても、忙しいそぶりをされ(実際忙しかったのだと思いますが)話はそこで終わってしましました。
仕方ないのでその足で、今度は養護教諭(20代女性)に相談に行きました。
保健室の先生は教室まで行くことも少ないですし、なかなか子供の普段の様子を把握って出来ないですよね。
『何かあったらいつでも保健室に来ていいことを伝えてくださいね。』と言われ、
その後校長先生からも、授業見学とかもいつでも大丈夫ですよと言ってもらいました。
それで、ある日見学に行ったんです。
すると、昼休み中に我が子を含む児童が4人も給食を食べさせられていましたΣ( ̄ロ ̄lll)
そのうちの一人の色白で細い女の子が、嗚咽しながらパンを食べていた光景を今でも忘れることが出来ない…(´;ω;`)ウゥゥ
見ているだけでつらい光景…
うちの子はその頃、おかずをイジイジしながらひたすら時間が経過するのを待っていました。
え??そんなん学校、楽しいわけないやん??
Σ(゚д゚lll)
しかも、その横で担任は他の生徒と楽しそう!
のちに子供は、この態度が見捨てられたようですごく嫌だったと言っていました。
疎外感を感じたんだろう…
その後、再度担任と面談し、給食は無理のない範囲で食べる(初めから減らしておく)ということにしました。
威圧的な態度
その後、だましだまし学校に入っていましたが、夏休み明けからとうとう寝る前も、朝起きてからも泣いて学校に行きたくないと言い出しました。
不登校の子供をお持ちの方は、長期休暇明けは鬼門ですよね…。
GW、夏休み、春休み開け、そう、大人だって会社に行きたくない。
いつまでも家でまったりしていたい。
給食の件は相談済でしたし、子供も『少なくはしてもらっている』と。
それでも行き渋る子供…。
何が原因なのか??
よくよく聞いてみると、『先生が怖い』とのこと。
- 他の生徒がふざけている時に、教卓を思いっきりたたいて黙らせてこわかった
- 他の生徒のランドセルの首のとこをひっぱって連れて行ったのがこわかった
- いつもヒステリックでこわい
- いつも白い手袋をしていてこわい
白い手袋…?
オペかよっ
まぁ、こればかりは個人の事情があったのかもしれないので、何とも言えませんが(病気とか?)
でも私でもこわいと思う!(´;ω;`)
うちの子は、直接注意されたりするようなことはしてないのですが、やんちゃな男子が怒られているのを見るだけで、怖くて仕方なかったそうです。
スクールカウンセラーに相談するまで
夏休み明けの二学期は、ひどいものでした。
朝は家を出る直前になると泣いてしまい、一緒に学校まで付いて行く。
校門前、昇降口前まで行くも泣いてしまって入れない。
養護教諭が出てきてくれて、泣いている次女を一緒に連れて行ってくれたり…。
帰宅後は家では本当に元気で天真爛漫ないつもの次女に戻るんです。
寝る前には『ママ、あしたはぜったい泣かずにがっこういくね』と。
いじらしい…
次の日…、その決意もむなしく
泣く→学校付いて行く→先生のお迎え…の繰り返し…
毎日、期待からの絶望
なぜ、休ませなかったのかというと、次女本人も『休みたい』とは言わない。
きっと親に気を使っていたのでしょう。
休むことが、ダメな事と思っていたでしょうね。
私自身も、なるべくなら休まず学校に行ってほしかったですし、病気ならともかくどういうタイミングで休ませるのか、一度やすませたらずるずるとそのまま学校に行かなくなったらどうしようかと、考えてしまって、休ませることが出来ませんでした。
でも、限界が来てしまったんですよね。
冬休み前には、本人も疲れ果てたみたいで情緒が不安定になっていました。
その間、担任はほとんどノータッチです…。
話をしようにも話にならないので、私もその頃には校長と養護教諭に直接相談するようにしていました。
そして、校長と養護教諭からの提案で、スクールカウンセラーを紹介してもらうことになりました。
ついにスクールカウンセラーとの面談
スクールカウンセラーとの面談は小学校の保健室で行われました。
50代くらいの男性でした。
経過は、養護教諭や校長などから話してもらっていたのですが、まずは今の状況になるまでの経過の確認をしました。
うちの子とも、しばらくお話をしてくれてました。
内容は、好きな事、やってると楽しいこと、勉強の事、好きなお菓子のことなど。特に好きなお菓子の話で盛り上がっていました。
スクールカウンセラーに子供のことで言われたこと。
- この子は大丈夫。絶対に学校に行けるようになりますよ。
- (今は、心が疲れて元気がなくなっているので)思い切って三学期は休ませましょう。
学校(特に担任)の心配事などが重なって、いわるゆ母子分離不安が起こっているとの事。
私が指摘を受けたこと
- 仕事は続けていいし、後ろめたく思う必要はない。
- 万が一、仕事がなくなってもすぐに次が見つかるから、こだわりすぎるのもよくない。
- 子供と一緒に悲しくなったりつらくなったりする気持ちはわかるが、私自身も母子分離不安に陥っている。
- 子供の不安を自分事のように受け止めすぎていて、苦しくなっていないか。
などです。
私が感じたことと、学校を休ませることにした理由
不登校の子は、学校に行きたいのに行けないと悩んでいる子が多くいます。
その理由は大きく二つ
- エネルギー切れを起こしている
- 登校に不安がある
不登校の子供の多くは、嫌なことがあっても学校にいかなきゃと無理をし続けた結果、気力やエネルギーがなくなってしまうのです。
そんな状態では学校へ行きたいと思っても、行動するエネルギー不足で行くことが出来なくなるのです。
また、長い間休んでいた学校へ復帰するのは、誰でも不安に感じますし勇気がいります。
授業や部活についていけないのではないかという不安や、友達の輪の中に入れないのではないかという不安から、最初の一歩が踏み出せない状態です。
そして真面目で一生懸命な子ほど、学校にいけないことを思い悩んでしまうそうです。
自分でも感じていましたが、当時はすごく視野が狭くなっていたと思います。
子供の将来が心配で、自分のことのように苦しくていつも憂鬱で暗い気持ちでいました。
スクールカウンセラーと話して、その不安が全て取り払われるといった事はなかったですが、
少しだけ客観的に自分たちを見ることが出来ました。
長い人生のほんの数年。
少しくらい学校を休んでも取り返しがつかないなんてことはない。と思わせてくれたことが大きかった。
人生、いつからでも巻き返しはきくよ。
仕事でも一緒、心を壊す前に休むことは大事。
スクールカウンセラーや特定の一人を妄信することは良くないことですが、養護教諭も当時の校長もとても親身になってくれて、話していく中で三学期を休ませることにしました。
発達障害などの検査などはしていませんが、沢山の子供たちを見てきた校長やスクールカウンセラー、養護教諭、そして教師の友人などからも、発達障害には当てはまらないのではと言われたので、
うちの子の場合は心の疲れをとるために一年生の三学期を休ませることにしました。
この日は確か、二学期の冬休み前の事でした。
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