小学校一年生の時に不登校になった次女の話です。
小学校一年生の三学期はまるまる学校を休みました。
二年生は保健室登校から始め、三年生の後半には保健室に行かない日も増えてきていました。
ブログで書くと、少しずつだけど順調に学校に行けるようになっているかのように見えますが、ほとんど毎日、朝は行き渋り→泣く→一緒に学校までいく→先生にお願いしてから仕事へ行っていました。。。
小4・小5
担任はスター
小3の三学期からは、お友達に助けられ教室で過ごす時間が増えていました。
お友達Kちゃんとも無事同じクラスになれた小4。
担任は、40代の男性教師でした。
あだ名は山P(仮名)
(えぇ、某男性アイドル由来です。)
厳しいけれど、愛ある厳しさ。
行動力があり、新しいものにどんどんチャレンジする。
教師であるけれど、子供目線で一緒に全力で毎日を楽しむことが出来るそんな先生でした。
長女も、一年だけ山Pが担任だったことがありました。
山Pが学年主任になってからその学年の学力がぐんと伸びたり、運動会やキャンプ、修学旅行などもとても団結している印象でした。
校内でも一目置かれるリーダー的存在
文字に起こすと…とんでもない先生…
好き勝手やなオイ!
次女が小学校を卒業後、先生を訪ねると「校長が変わってコンプライアンス厳しくなって、好きな事出来ないんですわ。」と嘆いておられました。
うちの子とKちゃんは、この担任とすごく相性がよかったのです。
二人とも運動が大好きで、おもしろいこと好き。
クラスの多数は山Pの方針を楽しんでいるようでした。
担任と子どもの相性って大事です。
うちの子が小1の担任を好きでなかったように、山Pと合わない生徒がいたのも事実。
全員と合う人間なんていないと思いますし仕方のないことですが、
子供にとっては長い時間を過ごす教室、担任、友達との雰囲気はとても大切です。
新しい友人関係
Kちゃんとも同じクラスになり、ほかにも少しずつ新しい友人関係が広がっていきました。
その中の一人とはずっと仲がよくて、高校も同じところを選ぶことになるのはまだ先の話…。
Kちゃんは自分が遊ぶ時、かならずうちの子にも声をかけてくれていたようです。
Kちゃんはうちの子の救世主。
スポーツ万能で正義感があり誰にでも平等に接することが出来るKちゃんは、男女問わずクラスの子たちから一目置かれていたよ。
子供同士の仲がきっかけで、私もKちゃんのお母さんとはとても仲良くなりました。
今でも仲良くさせてもらっています。
Kちゃんがうちの子に良くしてくれるのはなんでだろ?と聞いたことがあるのですが、
Kちゃんはいつも運動がクラスでダントツ一番だったけど、小3の持久走でうちの子が後ろに迫ってきて焦ったそうで、それからうちの子に興味を持ったそうです。
ダークホース現る。。
体は小さいけど、長距離だけは速かった次女。
Kちゃんはその後、一位を死守するために自主練までしていたそう。
あとは、うちの子の面白いところが好き!と言ってくれていたそうです。(ひょうきん者)
クラスメートとのいざこざ
このように、Kちゃんとはいい意味でライバルであり、同志でした。
争うのではなく、競い合い高めあう友達が出来たことで、うちの子も自信がついて行ったようです。
それでも、スポーツでKちゃんに勝てたことは一度もなかったよ。
うちの子が10がんばったら、Kちゃんは必ずその数倍がんばってた。すごい。
二人の間には、一緒にいておもしろいから好きという気持ちと、お互いへのリスペクトがあったように思います。
いつも家でKちゃんはすごいと褒める次女。
同性から見てもかっこいいKちゃん。
実際、体力テストも男子を抜いて学年一位。
ですが、小学生の高学年へとなるにつれて女子の中では単純なだけではいられないようになりますよね…。
だいたいは、ちょっとしたいざこざで終わってしまいなんてことないのですが、1人ですが変わった子に執着されて大変だった時期がありました。
モンスターM(仮名)登場!!
保健室登校をするうちの子のことを、ずるいと言ってきたのです。
それは、親も一緒になって言っているようでした。
一家でモンスターだった!!
その家族はうちの子にライバル意識を持っていました。
保健室へ逃げたりするのに自分のやりたい授業だけくるだとか、不登校になるのは一人親だからだとか、家で子供に話していたようです。
そして子供Mが、学校でその話をチクってくる…。
(悪口いろいろ)ってママが言ってたよ〜。と、Mに言われたそうです…。
構わないでいてくれればいいのに…。
のちに聞いた話では、そのモンスターM家に被害を受けているのはうちだけではなく、何人かの家族や子供が被害を受けていました。
ただ、そんな時でもKちゃんはモンスターのいうことを笑い飛ばしてくれて、うちの子の代わりに言い返したりしてくれました。
THE・友情!
その後、次女自身もモンスターMに言い返せるようになってきました。
小6
小6では、ほとんどを教室で過ごすようになっていました。
心配していた修学旅行も、元気に出かけていくことが出来ました。
宿泊を含む修学旅行やキャンプ等が苦手な子もいるとは思いますが、小3から始めたスポーツクラブで泊まり込みの合宿等もあったので、次女は慣れていて平気だったようです。
学校への付き添いもほとんどしなくなり、近所の友達と登校が出来る日もありました。
スポーツを始めた
じつは次女、三年の冬からスポーツを始めたんです。
姉がやっていたので、見学にはよくついてきていて「姉ちゃんと一緒にやりたい」と言っていたのですが、
集団のスポーツだったので休みすぎると迷惑にもなるし、学校にちゃんと行けるようになるまでは…とストップしていたんですね。
そうなると、子供ってがんばるものなんですね。
クラブに入りたいために学校をがんばりだした、というのもあります。
スポーツを始めてから、食事量が増え体力がついたよ!
スポーツの成功体験で自信もついてきたみたい!
その後…、例のモンスターMが同じクラブに入部してきました…。
ストーカーかっ
そしてクラブ内をごちゃごちゃかき混ぜてやめていきました。。。
小学校時代にやっていた習い事
小3の終わりから、バレーボール
このクラブで学んだことは沢山あります。
体力がついたのはもちろん、精神的な面でも大きく成長出来ました。
また、異学年の親友もでき、今でもその子たちとは学年、学校が違っても仲がいいです。
ソウルメイトやな。
週に3〜4日あって、月謝は月に3,000円。安い。
小4から日本習字
週一で習字を始めました。
初めに入った教室がよく言えばアットホーム、悪く言えばメリハリのない教室だったので途中からいやいや行っていました。
Kちゃんの紹介で別の教室に移ったのですが、そこからメキメキ字が上手になりました!
指導者で子供は変わることを実感!!
うちの子は注意散漫なのですが、習字の時は集中できて楽しいそうです。
精神統一大事。
週に一回2時間で、月謝は3,000円。ありがたい。
小4から、算数と英語の近所の個人塾
近所の方がやっている個人塾に通い始めました。
ここも長女が通っていたので、次女の希望で通うことになりました。
勉強は、嫌いではないが何とかついていけている…?という状態だったので、高学年になり勉強が難しくなる前にその先生にお任せすることになりました。
超スパルタな先生。
ここでも、勉強だけでなく精神面でも鍛えてもらいました。
小4〜中2の終わりまで通いました。
が、英語は全然上達しませんでしたw
いまだに、peopleとpopularがごちゃ混ぜになったりするよ…。(高1)
めざせ出川イングリッシュ!!
習い事について
習い事をしてよかったことは、違う小学校の子や異学年の子と知り合えて、世界が広がることです。
もちろん運動をすることで体が強くなったり、書道で集中力がついて(あんまりついてないけど…)字も上達しました。
子供にとって、それは自信になります。
それだけではなく、学校以外に場所にも友達を作ることで逃げ場所を作ることができました。
実際、次女はスポーツスラブで知り合った違う学校、違う学年の子たちと今でもとても仲良しです。
それは、我が家にとっては大切な財産となりました。
学校の友達と上手くいかないことがあっても、他にも居場所があると思えたことは大きかったよ。
保健室の先生
保健室の先生は、小3から仏のようにおおらかで落ち着きのある大仏先生(仮名)という50代のベテランの女性養護教諭に変わりました。
大仏先生は、次女のことをよく見て理解してくれていました。
今の次女があと少しだけがんばったら出来る課題を、常に出し続けてくれたのが大きかったです。
あまりに難しい課題だと初めから無理とあきらめてしまいそうですが、大仏先生は次女ががんばって達成できるぎりぎりのところを見極めてくれていたと思います。
次女がさぼろうとしたときは少し冷たく突き放し、弱気になった時は「あなたなら大丈夫」と背中を押してくれる。
親として、見習わなければならないことばかりでした。
今でも年賀状のやり取りをしているよ
少しづつ課題を乗り越えることで、成長していくのがよくわかりました。
保健室登校仲間の存在
保健室登校をしていると、そこで一緒に過ごす仲間が出来ます。
お互いに学校にいけない理由を話したりはしないけど、仲間意識があったのは確か。
不登校になった事がない人からすると不登校児の気持ちって理解できないと思いますが、
その気持ちを『うまく説明はできないけれど、ただ共感してくれる仲間』がいただけで、お互いに心強かったのではないかと思います。
小学校卒業へ
そんな濃い6年間を過ごし、次女は無事小学校を卒業しました。
こう考えると、本当に周りの人に助けてもらい、育ててもらったんだと実感します。
私の力は微力。
関わってくれたみんなに感謝です。
色々と試行錯誤をしながら過ごしてきましたが、なんとなく中学校ではもう不登校にはならないだろうという気持ちになってきていました。
中学校編へ続く
コメント